料理の記憶 〜すすきのラーメン横丁〜
前回に引き続きラーメン屋さんのお話。
と言っても、今回は別のラーメン屋さんのお話。
これは私が16歳の頃、ろくに勉強もせずにスレスレで入った高校は大して楽しくも無く、早々と辞めていた。
すぐに何かの仕事をする訳でも無くぷらぷらしていた時、知人からアルバイトのお話あった。
札幌雪祭りの期間だけ、アルバイトしないか?
それはすすきのラーメン横丁の短期バイトでした。
当時、すすきのラーメン横丁と言えば札幌観光の代名詞とも言える場所で、全国各地から観光客が押し寄せ、特に雪祭り期間中ともなれば大変な賑わいをみせている場所だ。
札幌市に現在ほど際立ったラーメン屋さんがなかった時代に、あそこに行けば札幌ラーメンが食べられると言われていた。
札幌市民からすれば、観光客目当てのラーメンでしかない。と敬遠されつつある状態だったが、それでもある程度の人通りはあったと思う。
数多くのラーメン店が並びあい、正統派ラーメンを出す店もあったが、ホタテエビカニラーメンという北海道民でさえ食べた事のないようなラーメンもある。
色々と個性溢れるラーメンの中でもさらに際立つお店。「天鳳(てんほう)」
ドラム缶スープのお店!天鳳という看板を掲げていたお店で私はアルバイトをすることになったのだ。
しかし、いきなり問題発生。
ラーメン横丁と言えば夜中営業は当たり前で、下手すれば朝まで営業しているお店もあったりして、当時私は16歳。
未成年が働いていい時間帯ではなかった。
そこで店主は・・・
「近藤君、老けてるから大丈夫。」
「・・・・。」
問題解決!
幸いにも私は老けていたのです!ちくしょー
このお店は今の店主の先代、創業者でもある社長がもともとお店を切り盛りしていた。
発祥は北海道の旭川ラーメンから来ているらしく、今でこそ有名な話だが旭川ラーメンと言えば昔から「しょうゆラーメン」が基本だった。
よってオープン当時の天鳳のメニューには「しょうゆラーメン」しかなかった。
この社長が旭川から札幌に来てラーメン横丁にお店を構える時、同業者の皆さんに、「ここでやるなら味噌と塩も置かなきゃだめだよ!」
「観光客が多いんだからさ、しょうゆラーメンは札幌じゃはやんないよ。」
などと、散々言われたようで、社長はしぶしぶ他の味のラーメンも作る事になった・・・
しかしそこは社長が根っからの頑固親父だったようで、壁に貼ってあるメニュー表を見てみると、
「しょうゆラーメンのお店」と大きく書いてあり、他のメニューは
みそ しお
冗談抜きにこのぐらい小さく書いてあったと昔を知る古い常連さんは笑っていた。
それでもやはり観光客の気持ちは違い、札幌と言えば味噌ラーメンという意識が強く、そんなメニューを見ても
「おっちゃん、味噌一つね~」
などと軽く言われてしまう。
そこで社長の一言。
「そんなもん作れるか!!!!」
とお客さんに言ってしまったようです。
「しょうゆ以外は他の店で食ってくれ!」とそのお客さんを帰す始末。
現在だと考えられないお店ですが、はっきり言って「粋」だな。と。
私は大好きです。
その後、東京にお店を出すと言って札幌のお店は別の人に任せて行ったようで、結局私は会えずじまいだったが、一度でいいからお会いしたかったな~と今でも思う。
私は、その後引き継いだ2代目店主の時代に入った。
たった2週間のアルバイトだったが物凄く記憶に残る濃い日々を送るのだ。
この続きはまた次回