旅メシダイアリー

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札幌スープカレーの真髄

私がスープカレーと出会ったのは20年近く前の話だ。
札幌市白石区にある「BOSCO(ボスコ)』だったか、東区にあった「JACK IN THE BOX(ジャックインザボックス)」だったのかはっきり覚えていない。


それから札幌市ではスープカレーブームが始まった。
ブームの火付け役となったのは白石区にある「マジックスパイス」であり、話題が話題を呼んで行列を作った。
話題を呼んだ理由の一つとしてはスパイスの存在である。

馴染みのなかったスパイスという存在が、それまでガラムマサラを普段のカレーに入れるくらいの知識しかない人に刺激を与えた。カイエンペッパーの辛さに刺激を覚え、スープの出汁に感銘を受けたのだった。

私の記憶ではこれがスープカレーの始まりに感じていたが、そうではなかった。
カレーを薬膳と唱えた「アジャンタ」、トマトスープと野菜の素揚げを開発した「木多郎」、そして私のスパイス師匠「スリランカ狂和国」である。

これらのお店は1980年代にオープンしたスープカレー屋さんである。
私が生まれて間もない頃にはすでにスープカレーが誕生していたのだった。


それから20年、2000年代には空前のスープカレームーブメントが札幌を駆け巡り、市内だけで200店以上を超えるようになった。

今では東京、大阪、名古屋、横浜など都市部にも進出し、北海道の食事といえば?というキーワードにスープカレーが入るようになったのだった。



 

 

 



私が作った初期のスープカレー

札幌市内でスープカレーは人気だったが、私は当時ほとんど関心がなかった。
すべての始まりは水谷さんとの出会いだった。

その頃私はピンチョスをオープンさせるために札幌市内の空き物件を探し回っていた。
何件も見て回ったが、どれも決定打に欠けるものだった。

そんなある日、札幌市豊平区にある一つの物件に出会う。
不動産屋さんによると最近空いたばかりの物件で、まだ雑誌などには掲載されていないものだという。
さらに私たちが希望する広さよりもはるかに大きく、もしかすると希望に沿っていないと説明してくれた。


私たちがその空き店舗に入ると、中からはスパイスの香りがした。
最初に案内してくれたのは大家の水谷さんではなく、奥さんの妹さんであった。
翌日、改めて訪れたところに水谷さんが待っていた。

どうやら、カレー屋さんをやっていたらしく、高齢になり店を閉め、明渡すという。
私たちが店の中で家賃の話や、坪単価、ガス、水道、駐車場、などの話を聞いていると、スーツを着た男性がお店の中に入ってきた。


「あれ?今日はお休みですか?」と彼は水谷さんに尋ねる。
「いや、もう店閉めちゃったんだよ。もうやってないんだ。」と水谷さんは彼に伝えた。
「え?そうなんですか?とても残念です。」と彼は肩を落として駐車場に戻ろうとしていた。
「大丈夫だ。次は彼らがお店をオープンするから。」と水谷さんは私たちの方を向いた。

「え?」

スープカレー屋さんをやるんですか?」と彼は私たちに聞いてきた。
「いやいや、まだ決めてませんし、スープカレーも作れませんよ。」と私は慌てた。

「はっはっは。必ずやるよ。彼らはここでオープンするから。よろしくね。」と水谷さんは笑いながら彼に伝えた。

私たちはその時、水谷さんの何とも言えぬパワーに惹かれていた。


水谷さんの父親は北海道における漢方薬の第一人者であり、彫刻家「佐藤忠良」が銅像を作っているほどの人物である。



最初で最後となった水谷さんが作るスープカレー

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