鮎を食す日
夏の始まりには鵜飼いが始まり、見物客を楽しませる。
鵜飼いの歴史はとても古い。「日本書紀」や「古事記」にも記載されているほどだからよほど古いと見える。
北大路魯山人が書いた料理王国という本に鵜飼いについて書かれているが、この人に言わせればどうも調子が狂うそうだ。
「鵜飼いがどうのというわけではないが、目の前で鵜が獲った魚を食べず、見物客はいつたれが獲った魚かわからないものを焼いて食べるというのはどういうことか。」
ここに書かれている魚とは鮎のことだ。
鮎は新鮮なうちに食べるのが一番である。と魯山人は言っているのである。
鮎という魚については数々の人が言葉を残しているが、総して言うのは「鮎は泳いでいる川によって味が変わる。」ということで、日本中の川に鮎は泳いでいるが一つとして同じ味はないのだ。
それではどこの鮎が一番うまいのか。
昔からこうした論議が食通たちや鮎釣り師の間で話し合われていると思うと、鮎というのは他の魚と違った面白味を感じてしまう。
ならば私も古き時代から親しまれてきた鮎を食べてみようと思い立ち、2度目の「須多”」に来ることができた。
三重県に来て「人生初の鮎です。」と言うとこちらの人は大概驚く。
「鮎を食べたことがない人がいるの?」と言われるくらい驚くのだ。
私はそこまで驚かれることに驚くが、果たして北海道に鮎はいないのか?
どうやら調べてみたところ、北海道にも鮎はいる。川釣りの間では余市、黒松内あたりが有名らしいが、幼少から食卓に鮎が出てきたことは一度もない。
多分道民は食べたことがない人の方が多いのではないかと思う。
私はと言うと、正式には食べたことがあるのかもしれないが、それが鮎だったのかヤマメだったのかニジマスだったのかは覚えていない。
つまりは鮎を食べよう。と思って鮎を食べた記憶がないのだ。
長良川からさらに奥にある川、板取川の水は格別に綺麗である。
「須多”」はその板取川の川沿いにあり、ここらあたりは洞戸という地名だ。
この洞戸というところはどうも不思議な魅力を持っている。
日本昔話に出てくるような、となりのトトロが住んでいるような場所である。
東海地方、北陸地方などの道の駅などで売られているミネラルウォーターはほとんどが洞戸から汲み上げられた水であることが最近わかった。
そこの水で育った鮎は果たしてどんな味がするのか大変楽しみなことだった。
須田さんの料理はとにかく美しい。
美しくてうまい。
どれを取っても、右を見ても左を見ても美しいと感じるところだ。
これほど美しい料理に出会えたことがとても嬉しい。
私はこうして須田さんの料理を食べるのは4度目になる。
1度目は去年のフナクリセミナーでのお弁当。
2度目は今年の結婚記念日にてお店に初の来店。
3度目は今年のフナクリセミナーでのお弁当。
そして今回が4度目になる。
こうして何度か食べる機会をいただいているのだが、どうにもこうにも素晴らしい。
私の言い方が未熟だが、仕事が見えないのである。
私が食べ物屋に行くと職業柄、仕事を見る癖がある。
それはスタッフの動きなどもそうだが、一番に見るのは目に見えない仕事である。
音を聞いたり、匂いを嗅いだり、表情を見たり、箸で持ったり、食べたりすると、その人の仕事が見えてくる。
あぁ、この人の野菜の切り方はうまいな。鍋の振り方が一定じゃないな。丁寧な仕事だな。真面目だな。個性的だな。機械的だな。などと頭の後ろの上の方に風景が浮かんできて、人の動きとか思いとかが見えてくる。
味付けもその一つで、醤油などが際立っているとそこからほとんどの調味料が浮かんでくる。それが果たして当たっているのか外れているのかわからないが、イメージとして浮かんできたものは自分でも作れるようになる。
しかし須田さんの料理はそれが浮かばないのだ。
例えて言うなら全てがまとまっていて、丸いものに包まれているような感覚を覚える。
暖かいもの冷たいもの様々食べたが、どれも出しゃばらず、それでいて一つ一つが力強く美味しいのだ。
私はすべての細胞に行き渡るように食べた。
この経験を忘れないように、指先の爪に至るまで浸み込ませるイメージで食べた。
そうすると一つ何かが浮かんできたのだ。
鮎だ。
そうだ鮎をいただきに来たのだ。
あまりの素晴らしさに鮎がメインであることを忘れてしまいそうだった。
私は先ほど料理を持ってきた須田さんの奥さんが言っていた言葉を思い出した。
「器も、掛け軸も、お花も、お料理も、すべてに意味があるんですよ。」
意味?
意味とはなんだ?
そして以前お会いした時に須田さんが話してくれた言葉も同時に思い出した。
「茶事にお出しするお料理というものは、あくまでもお茶がメインなんです。お茶をいただく為のお料理なんです。」
そうか、そうだったのか。
この料理もすべてはメインの為にある料理なのか。
今回のメインとは鮎だ。
最高の鮎を食べてもらう為に作られた料理なのだ。
「鮎をお持ちしました。どうぞお熱いうちにお食べください。」
すごい。まるで川の中を泳いでいるようだ。
私は鮎を頭から食べた。
そしてハラワタを食べた。
次に身を食べた。
そして尾を食べた。
私は今日、本物の鮎を食べた。
美味しくて、美味しくて、涙が出そうだ。
フルーツと白ワインゼリーも美しかった。
梶の葉に添えられた水羊羹も美しかった。
庭から聞こえる鶯の声も美しかった。
最後のお抹茶の味で、私は鮎料理という大きなものに包まれた。
私が食べたのではなく、私が食べられたような感覚だった。
それは季節、景色、歴史、文化、技、粋、おもてなし、優しさ、親切という味がした。
山川草木料理「須多”」は私にとって宝物のようなお店です。
本当にありがとうございました。